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アウト Jacobus
Johannes Pieter Oud(1890-1963)
建築家。プルメレント生まれ。デルフト工科大学に学ぶ。デ・スティルに参加したが、その抽象的議論と決別し、その後機能主義へと発展する。バウハウス主催の展覧会にも講師として参加する。
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アペル Kapel
Appel(1921- )
画家、彫刻家、版画家。アムステルダム生まれ。1948年にパリで前衛芸術家グループ「コブラCobra」を結成。代表作にベニヤと発砲スチロールのオブジェ「人と動物」など。
- エッシャー Maurits
Cornelis Escher(1898-1972)
版画家。レーワルデン生まれ。錯視効果を徹底的に利用した一連の版画で有名。1970年代のオプ・アート運動に根源的な影響を与える。代表作に「昼と夜」、「爬虫類」(1943)、「描く手」(1948)、「太陽と月」(1948)、「階段の家」(1951)、「婚姻の絆」(1956)、「ベルベデーレ」(1958)、「滝」(1961)など。
- エルスケン エド・ファン・デル・エルスケン Ed
van del Elsken(1925-1990)
写真家。アムステルダム生まれ。1955年「サン・ジェルマン・デ・プレの恋」を発表。1988年9月前立腺ガンの宣告を受け、自らの生活を撮り続けた。12月28日死亡。
- カイペルス Petrus
Cuypers(1827-1921)
建築家。ルールモント生まれ。多くのネオ・ゴシック教会を設計。代表作にアムステルダム中央駅(1880)、アムステルダム国立美術館(1876)など。国立美術館はレンガ壁を露出したネオ・ルネサンス様式。
- クレルク M.De
Klerk(1884-1923)
建築家。凝ったれんが造りや異国風の屋根などが特徴のアムステルダム派と呼ばれる。アムステルダム派は1911年から1923年頃にスラム街跡に多くの集合住宅を建てた。代表作に船をイメージした集合住宅のヘット・スヒップ(1921)などがある。
- グロティウス Hugo
Grotius(1583-1645)
法学者、政治家。デルフト生まれ。14才でレイデン大学を卒業。弁護士となり、1604-1605年「捕獲論」を執筆。その一部「海洋自由論」(1609)を出版。1625年パリで「戦争と平和の法」を出版し、近代自然法の始祖とされる。
- コンスタン Constant
Nieuwenhuys(1920- )
画家。アムステルダム生まれ。コブラ派の一人。1953年頃より、金属とプレキシガラスによる彫刻を手がけ、オランダ各地に記念碑を残している。
代表作に「皮を引き剥かれた大地」(1951)など。
- ハンス・ダルファー/キャンディ・ダルファー Hans Dulfer(1940- )/Candy
Dulfer(1969- )
サックスプレイヤー親子。両者ともアムステルダム生まれ。
- ブリューゲル1世 Pieter
Bruegel I (1525頃-1569)
ネーデルランドの画家。農民風俗画を確立。画家一族の祖で「大ブリューゲル」と呼ばれる。
- ベルラーヘ Hendrik
Petrus Berlage(1856-1934)
建築家。アムステルダム生まれ。チューリヒ工科大学卒。19世紀折衷様式から近代建築への過渡期にあって、近代主義を進取しながらも、建物の姿は時代に調和させた。「オランダ近代建築の父」と呼ばれ20世紀初頭の建築界に大きな影響を残した。代表作に「アムステルダム証券取引所」(1903)、「デン・ハーグ市立美術館」(1935)など。
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モンドリアン Piet
Mondrian(1872-1944)
画家。アーメルスフォールト生まれ。1910年初頭パリでキュービズムの影響を受けて形象の抽象化を目指し、1917年「デ・スティル」を結成。水平線と垂直線、それに挟まれた三原色の色面だけで構成された幾何学的抽象絵画を創始。
- ライスダール Jacob van Ruisdeal(1628-1682)
風景画家。ハールレム生まれ。代表作は「ハーレム眺望」「ユダヤ人墓地」など。
- リートフェルト Gerrit
Thomas Rietveld(1888-1964)
建築家、家具師。ユトレヒト生まれ。1917年「デ・スティル」創刊の年に自分の工房を開きメンバーとなる。青と赤の肘掛け椅子(1918年頃)、ユトレヒトのシュレーダー邸(1924)などで、水平垂直の構成、三原色の使用などが立体とし具現化された。
シュレーダー邸はデ・スティルにおける最初で最後の実現された本格的な唯一の建築作品。
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レンブラント Rembrant
van Rijn(1606-1669)
画家。レイデン生まれ。1631年にアムステルダムに移った後、肖像画によって人気を博す。アムステルダムにはレンブラントが妻Saskiaサスキア(1612-1642)と過ごした家が博物館として残っている。
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