● | 2007年8月28日(火) |
病院4件をハシゴする。10時50分に家を出発し、まずY病院へ。3月に起こしたぎっくり腰の診療をしたこちらで処方された骨強化薬が終了し、約4か月間飲み続けた効果を知るための骨量レントゲン撮影が目的。先生は「1年位飲んでみないと〜」と言うものの1日1粒が約50円もするので数値を見て継続はシビアに検討してみたかったのだ。勧められた尿検査はこの後で取るのでパスし、手の撮影と問診のみ。患者は少なかったのに会計が終了するまでにやはり1時間はかかってしまうのが当医院の特徴だ。12時に病院を出て銀行、TSUTAYA返却へ寄りながらKクリニックへ着く。こちらでは区民検診の成人検診と大腸がん検診と初の血清ペプシノゲン検査を受ける。昨年に続き2回目となると段取りも良く検便容器はこの日に合わせて既に入手し昨日と一昨日で便は接取済み。血液、血圧、心電図、尿、身体測定等の基本的な測定を終えて1時20分頃病院を出る。少し歩いて中野ZEROで一休み。残り2院との時間が空いているのでご無沙汰していた直販セレクトショップに行ってみる。スタッフ皆がフレンドリーで親切なこちらでは数年間で買い物した金額に見合わない試着点数を自負。今日も世間話をしながら5着を試して骨折以来久々にドレス1点を購入。この後中野サンモールのカフェで休憩。ブロードウェイの行きつけの靴屋さんへ挨拶がてら寄って2足を試着し、同フロアにある馴染みのブティックへ。ここでも私の買い物履歴は数点なのに試着は計り知れない。今日は夏物最終ディスカウントの中から普段はスルーするプリントワンピース4つを試着してみたが「何故かどれも似合わないよね〜」と男性店長と同感し合う。闘病で感覚がおかしくなっているのか、雰囲気が変わってきたのだろう。毎度のように更に20%値引きしてあげるとの太っ腹サービスにも残念ながら乗れなかった。時刻が6時を過ぎた頃に3件目のH整形外科へ向かう。いつものリハビリをこなし、ラストのN歯科へ7時半に着く。昨年と同様の区民検診(→2006.9.30)である。前回とほぼ変わらない会話をして、今回は軽い虫歯1本と磨耗している2本と歯石除去の治療が決まった。今日の行動は予約が2番目と4番目、他はアレンジが利くため自分の嫌いな同じ道を往復する歩きがなく大変スムーズに進行したので納得。しかしただ、"こなした"だけといったニュアンスがぴったりで生産性はなく何だか空しい所感も。 |
● | 2007年8月23日(木) |
久しぶりにワインバーへ行く。今や都内には多くのワインバーが存在し業態やスタイルも変化してきている様子だが、この数年間でお店の情報にはすっかり遠ざかっていた自分。理由としてはお家で飲む方がワイン選びからアレンジまで楽しめる事に気づいてのパターン定着に他ならない。またその要因にはレストランやバーでの販売コストは市場価格の約3倍という現状と、IT時代のワインマーケットにおいてカリテプリなワインを見つけるノウハウが身に付いたことがある。加えてお店ではグラスワインを提供するための装置や保管環境を備えていなければきっとがっかりするというリスクもポイントだ。この点では間違いなくクリアせる信頼のショップ(→2007.6.30)が運営するバーへ、今夜はオープンして1年程経っての実現となった。この日のセレクションはグラスで20種類程、サイズは60ccから2〜3サイズの展開で1500円辺りが中心価格帯。オーダーした物は全て150cc前後のグラスで、店名と主要商品であるスペインのワインメーカー「エスペルト」のカヴァ、オーストリーの代表的白品種のワイン、カリフォルニアの有名銘柄「カレラ」のピノ・ノワール。ボトルでは普段購入を踏み止まるような物をあえて選ぶ。その中でも「カレラ」は未だ感じたことのない素晴らしい香りに満ちてショックだった。ワインの醍醐味はフレーヴァーがまず大切だというを今更ながら思い知って忘れられない経験になった。気がつけば今月と先月はグラスワイン、テイスティングを含めると10か国のワインを飲んでいた。フランス、イタリア、スペイン、ポルトガル、オーストリア、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、アルゼンチン、インド。当然ながらそれ故に葡萄品種は更に多彩で白がモスカート・ビアンコ、グリューナー・フェルトリーナー、ソーヴィニヨン・ブラン、シャルドネ、マカベオ。赤がピノノワール、メルロー、カベルネ・ソーヴィニヨン、カリニャン、シラー、グルナッシュ、ムールヴェードル、サンジョベーゼ、ネーロ・ダヴォラ、プリミティーヴォ、テンプラニーリョ、トゥーリガ・ナショナル、マルベック。これまでの人生で他の意味でも特徴的な2か月だった。 |
● | 2007年8月19日(日) |
4日前にドンキホーテで買おうと目を付けていた扇風機は、10個程積まれた在庫が完売していた昨日。店員に尋ねると猛暑のこの3日間で扇風機は多く売り切れたとの事。昨夜は珍しく涼しかったため扇風機無くてもオーケー、今年も力不足のエアコン一基でまた夏を越せるのかもラッキーと思ったのは甘かった。今日再び暑さは戻ってきた。もう迷いはなくDIYショップ島忠へ行って20年ぶりに扇風機を購入した。1台目を手放したのが約10年前、ヤフオクを始めて真っ先に売ったアイテムである。部屋の空気を循環させることによって冷暖房両方に活用でき、省エネ効果もあるというその機能性は理解していたけれど、長年に購入を見送っていたのは必要性を感じなかったという以前に外観的な抵抗感があっての理由だ。定番扇風機のフォルムと存在感が嫌いだったのと保管スペースの大きさ、首振り時に紙やら煙草の灰やらが舞うことなど。今回購入したのは25cm羽のBOX型扇風機で消費電力43W、360度回転風向ルーバーと上下角度調節が付いている。いわゆる換気扇タイプのため首振り時に物が舞う警戒が少ない、背が低くて軽いから邪魔にならない上に軽くて移動に便利。メーカーは山善、デザインはプライオリティ低いものの許容範囲として価格は2980円。コストパフォーマンスが良いというか安すぎる。想像以上の扇風機の役割に、この年になって感激する恥ずかしいレベルでもとにかく嬉しくて今日は人間らしい一夜が過ごせた。どうしてこんなに素敵な物を今まで買わなかったのだろうと考える程に自分は滑稽だが、4度目となるこの家でのこの夏から1ランク快適にはなった。 |
● | 2007年8月17日(金) |
仕事を終えて母が滞在する姉ファミリーの家へ行く。今夏の帰省は取り引き先の仕事が忙しい事とリハビリ中の身である事に加えて、母が上京するという事由で却下となった。義理兄はミーティングで不在、姉と姪っ子は早々と就寝、毎度のように残しておいてもらった食事をする私と母と甥っ子の3人になるのもこの家においては珍しくない夜のパターン。彼は明日からの野球合宿が早朝の出発のために今夜は9時には寝なければならないと言いながらも、私達の相手をしてくれる何とも健気な優しさを持っている。彼のアイデアから四文字熟語の山手線ゲームをすることになった。小学校5年生とミドルエイジ女と高齢者の言葉比べ。年齢的には11歳の4倍弱と7倍弱の3人。彼が挙げた物には「画竜点睛」「才子多病」「馬耳東風」「一網打尽」など。難しい古事成語辺りが次々と出てくるのに感心しながら意味を聞いてみるときちんと解説をしてくれた。どうやら最近は「三国志」にはまっているそうで中国から伝わった漢字に興味があるとの事、なかなか立派です。母は全体的な記憶力低下、私はお酒を飲みながらをハンデとしても結果は時間切れ引き分けで終わる。ちなみに母からの言葉は「風光明媚」「医食同源」「花鳥風月」「四面楚歌」など、やはり俳句をやっている人ならではといった所だろうか。私となると「五臓六腑」「五体満足」「東西南北」「老若男女」などと現状の肉体への関心事や安直な発想に留まる。教養には知識が伴うけれど、経験や思慮分別が加わって知性や品性が出るものだよね。 |
● | 2007年8月13日(月) |
ケン・ローチの「麦の穂をゆらす風」をDVDで観る。痛々しく悲しい、そしていい映画だった。イギリスに支配されていた1920年のアイルランドでの独立を目指し戦いに身を投じた若者達の姿を描いている。戦いは一時休戦し翌年にはイギリス・アイルランド条約が調印されたものの、内容はイギリス自治領としてのアイルランド自由国という英国国王の権限がアイルランドで及び続ける結果であった。これによって独立軍の仲間は条約支持派と共和主義者に分離し内戦が起こる。ケン・ローチは他の作品にも見られる労働者階級や若者達をこの作品でも主要人物に備え、彼らが戦争に翻弄されていく有様を見せている。主役のデミアンはロンドンで医者になる夢を捨てて革命組織の一員として活動する道を選んだけれど、鉄の規制の中で幼なじみを殺す、裏切り者への制裁、そして自らも忠誠を貫いたために命を落とすことになった。皆が不幸、何もいい事などない、所詮戦争とはこういうものなのだと胸に突き刺さってくる。そしてもし自分だったらどうするのかと問われるのと同時に、現代社会においても人間が考えなければいけないメッセージをも投げかけているようだ。実際の志願兵達も若者が中心だったそうだが、映画の登場人物達は不思議と演技という印象がなくリアリティが漂う演出感は独特だと思う。また彼らの純粋さや一途さがアイルランドの素朴な美しい自然と重なって心に入り込んでくる映像。ケン・ローチは「最終的に英国人はアイルランドから去った。そこにひとすじの希望がある。ラストシーンで流される涙は、たとえ血を流そうとも愛するものと繋がり合おうとする強い思い。」と言っている。人間は強さと弱さの両方を持っていることを実感させられるが、例えば社会や時代に遊ばれてしまう弱さが普遍的に勝っても救いは強さの中にあると信じたい。 |
● | 2007年8月11日(土) |
初写真集「うめめ」で第32回木村伊兵衛写真集を受賞した梅佳代の「男子」写真展を見に行く。ギャラリーは代々木の「リトルモア地下」。この作品集は彼女が写真専門学校時代に撮影した小学生男子達のシリーズである。「男子はばかで無敵でかっこいい〜」というテーマ通り、近所の男の子達の素のまま日常の姿はどこか滑稽であり無鉄砲さを感じ取れる。ランドセルをしょって白いシャツに黄色い帽子という同じスタイルなのに、リアクションや表情が皆マチマチの瞬間に面白さが表れている。地面に寝そべったり、鼻くそを取っているようだったり、舌を出したりと自分丸出しな被写体達は、本人達は気がついていないのだろうけれど結構笑わせてくれる特有のキャラクターを捉えているのだった。上半身裸でぶらんこに乗ってポテチを抱えカメラに向かう眼差しの子供の顔など一見中年のおじさんと変わらずで、メタボばりのおでぶ体形の少年のジャージ姿と固そうなポーズなどにおいても今何を考えているのかわからない無表情さを合わせて何ともユニーク。撮影が大阪というシチュエーションもあるのだろうか、その地域ニュアンスが反映されているような一体感になっていた。撮影が好きな人の大半は人間や生物の二度と起こらないシャッターチャンスを捉える事への関心が少なからずあると思う。そのターゲットとして例えば集団であろうが一人であろうが自分ペースで呆けた部分を持つアンバランスな子供に向けるのもなかなか愉しい物だろうなと感じた。ギャラリーを出て久しぶりに代々木の街を歩いてタリーズでアイスコーヒーを飲む。こちらは広々とした店内、しかし喫煙エリアにおいては西新宿店とは明らかに異なる差別感だった。 |
● | 2007年8月4日(土) |
右手指は相変わらず痛いけれどお誕生日おめでとう、私。今日は夕方から新宿へ行く。新宿三井ビルのエプソン・ギャラリーで森山大道の「凶区Erotica」展を見た後、住友ビルの最上階まで上って新都心を眺め、新宿センタービル内タリーズでアイスコーヒーを飲んだ。夜は久しぶりにわが家でワインに合わせた食事を用意。前回とは違ったチョコレート料理に再トライという意向からラム肉と豚肉のソテー・チョコレートソースがけを作る。本当は煮込みのチョコレートレシピにしたかったのだが今日は暑いので却下。メインディッシュのもう一品としてチリ産の脂が乗った鮭ハラスのオーブン焼きも合わせて、夏にどうなのかしらホットでスパイシーなディナーとなった。今日の都内での平均気温は31度、最高気温は35度、熱帯夜だ。新宿から熱気のこもった部屋へ帰宅、暑さはリカバーされずに継続されていくのはパワー不足のエアコンの所為である。一時でも涼しさを感じられないまま保冷材を抱えて就寝へと向かう。心地よい誕生日にしたいという当たり前の希望はフィジカル面では儚くも問題ありだ。未だ右手指のシビレは消えずベストコンディションってどのようなものなのかを忘れてしまった所感すらあり、何となく今後の人生の傾向を暗示するかのような気分。精神的にはかつてない位のストイックさで覇気は不足気味、でもそれなりに満足なのか自己認識で明るいだけなのかの年齢がスタート。まあ年を重ねるとはこんなものかもしれない。忘れられない夏は続く。 |
● | 2007年8月1日(水) |
阿久悠氏が死去。彼のサイトから作品歴を見てそのバリエーションの多さを改めて知った。歌謡曲の広域ジャンルで歌手のキャラクターにフィットした仕事ぶりは、時代に乗った才能も含めて比類のない偉大な作詞家と言えるだろう。自分としてはやはり70年代の作品に馴染みが深い。山本リンダのベストヒットは全て彼の作詞で「どうにもとまらない」の"うわさを信じちゃいけないよ、私の心はウブなのさ〜"、「狙いうち」の"この世は私のためにある。見ててごらんこの私、今に乗るは玉の輿〜"辺りの大胆フレーズが子供時代のお気に入りで振り付けを真似し成りきって歌った記憶。これらは作曲を手掛けた都倉俊一との完成作で、このコンビはピンクレディのヒットチューン大半にも反映されている。「ペッパー警部」「モンスター」「透明人間」などは非日常のアニメ的でありファンタジー色が明快だ。意外に素朴なのが「カルメン」"私の名前はカルメンです。ああもちろんあだ名に決まってます〜。そのうちに火のような女になり、ふらふらにさせるつもりです〜」とコケティッシュで微笑ましい。ペドロ&カプリシャスの「五番街のマリーへ」「ジョニーへの伝言」もこの楽曲コンビにより異国叙情漂う仕上がりになっている。フィンガーファイブも忘れてはならない。"学校帰りの道でじっと待つこの身は辛い、毎日毎日同じ場所でただこうしているよ〜"と現代だったらストーカーぎりぎりの感じの「個人授業」がいい。好きだったジュリーにも歌詞提供は結構あった。「カサブランカ・ダンディ」では"聞き分けのない女の頬を一つ二つはりたおして背中を向けて煙草を吸えばそれで何も言うことはない」などと今ならDVで危ないニュアンス。名曲としては「時の過ぎ行くままに」と尾崎紀世彦の「また逢う日まで」の少ない説明にフレーズとメロディラインの美しさがピカ一だと思う。そして外すことのできない「舟歌」と「雨の慕情」においては侘しさを携えた日本演歌の歴史に残る歌だった。少々風変わりな詩も数々ある。チャーの「気絶するほど悩ましい」の危険性、桜田淳子の「夏にご用心」「サンタモニカの風」に漂う能天気ぶりなど。時にサスペンスやドラマチックな世界観、ポップ、おちゃめ、クールと世代や性別にマルチな作品は生涯で5000曲に及ぶのだそう。 |