軍艦島クルーズ October,2004
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軍艦島は正式には長崎県西彼杵郡高島町端島という。東経129度45分、北緯32度39分に位置する洋上に浮かぶ孤島で南北約480m、東西約160m、周囲約1.2km、面積約6.3haの小さい規模。
1810年に露出炭が発見され1890年に三菱社が炭鉱の権利を買収して以来、海底炭坑として操業を続けた。1959年には島の人口は5259人にもおよび密度は日本最高記録となった。また1916年には日本最古のRC構造の高層アパートが建設される。1974年に採掘を停止して閉山、同時に住民の離島も完了する。
人間が暮らす環境を考えた場合に軍艦島には多くの特異性がある。高密度の人口であったこと、洋上の孤島として地形、気象的にも厳しい自然環境にあったこと、炭鉱事業のために一つの企業が管理する社会体制があったことなどが挙げられる。

 
<比類のない住空間>
ほとんどの建物は急峻な岩盤の上に人工地盤を縦横に架けた高低差のある所に建っている。平坦地に建つ建物は少しであった。このため建物の階数や高さの即座の判断が難しい。例えば山道の道から建物内部の吹き抜けになっている廊下を通って海側に行くと、地階だったはずの足下に深いビルの谷間が表れるなど。測定には基準になる床を最上階に設定し、そこからの逆算方法で行ったらしい。地下都市的な要素を持っている。
多くの建物の屋上が公共広場として使用されていた。住宅の私的な空間を通らずに行くためのオープンスペースとなる。屋上には日本初とも言われる屋上庭園が作られている。また道は全て舗装され建物と緊密に重なり連結されているため、雨の日でも濡れずに島内のあらゆる場所に行くことが可能であった。
島自体は三菱の単一社有地であったが、住民にとっては全ての土地や建物は公共物として捉えるという不思議な環境と言える。社宅建物内には中廊下や吹き抜けなどがあり共用スペースとして使用された。軍艦島では1人当たりの床面積を知る際に地表のみの場合は当然少ないのだが、立体構造の戸外面積を含めた建物の床面積で算出した場合には当時の公団住宅よりはるかに多い。
社会の構造や都市空間と人間の共存の関わりが特異な存在。プライベートとパブリックを分離する中で、その境界線をよりよく曖昧にしている。同じ空間をどちらにでも機能させるなど柔軟なアイデアが生きていた。炭鉱作業員が帰路途中に公共浴場へ裸で向かうエピソードもある。
台風の多い長崎県の中でも軍艦島における海水の驚異は大きい。島にぶつかった波高が70mの建物を越えて反対側に落ちるなど。これら水への防衛は通常のシャットアウトとは逆の発想で対応されている。一度海水を飲み込んでから逃がすというものである。弧状のトンネルに傾斜がついているのもこの考えから。

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